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天と地を繋ぐ人の営みを記した『宇宙樹』の竹村眞一氏が語る、宇宙と生命のこれからの共進化関係【前編】

2023.09.29 / 高村学
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その昔、人類は植物から宇宙的エネルギーを得ようとしてきました。星や天体に触れることはできないにしても、植物や樹木にその宇宙的霊力が宿っていることを感じとり、さまざまな形で繋がろうと試みました。神道におけるご神木、ブッダが悟りを開いた菩提樹、あるいは森や田からも宇宙的霊力を感じとり、祈りや舞い、纏うことでその霊力と一体になることを目指したのです。

文化人類学者で『宇宙樹』の著者・竹村眞一氏は、樹木は人間にとっての「宇宙的なよりしろ」だと捉えています。『宇宙樹』は、竹村眞一氏が20代のころに70カ国に及ぶ旅やフィールドワークで自ら体験したことをベースにして、植物や樹木のありよう、それと人間との関わりを宇宙的な知性の進化過程として現代的な視点で捉え直した作品です。

例えば、『宇宙樹』ではサクラの「サ」は田の神を、「クラ」はその座を意味し、「花見」とは本来、花が持つ宇宙的霊力を身に纏うことだと説きます。さらに、「化粧」を意味する「コスメティック」という言葉が「コスモス=宇宙」に由来しており、色を纏い、化粧によって変身していく行為は、宇宙の諸存在とコンタクトし、コミュニケートしていくプロセスだと説明します。『宇宙樹』には、「地球とは、宇宙とは、そして人間とは」という問いに対する手掛かりがさまざまなエピソードとともに語られているのです。

この傑作は、2004年に発行され、これまでにさまざまな分野の人たちにインスピレーションとアイデアを与えてきました。発行から約20年が経った現在でも全く色褪せることなく、むしろ現代人が今後向かうべき方向への重要な羅針盤であり、さらに多くの人たちに「宇宙的なよりしろ」を与えていくのではないでしょうか。竹村眞一氏は「樹木と生命、宇宙と人類との共進化は新しい章に入る準備運動をしている段階、今はそんな感じがしています」と、話します。竹村眞一氏に、『宇宙樹』を頼りに宇宙と生命のこれからの共進化についてお話を伺いました。

■第一章:宇宙と生命の共進化

2004年に上梓した『宇宙樹』は、心のOS(オペレーティング・システム)としての植物との関わり、過去から現代までの日本文化、そして自分自身のフィールドワークを含めた人類の数万年スケールでの経験を現代的な言葉にアップデートしていくことをテーマに執筆しました。人類がこれまで経験してきたことを辿っていくと、「宇宙と生命」の共創の延長に人類があるという思いに至ります。人類はこれまで植物や微生物との関係を保ちながら生存、あるいは進化を続けてきました。その原型を模索しながら、「人間界と植物界」の共進化の関係を『宇宙樹』のなかで紐解いていきました。

共進化の出発点である宇宙の成り立ちを考えると、星々のなかで核融合によって作られたいろいろな諸元素が、鉄も含めて超新星爆発でばら撒かれて、散らかった状態がその最初期でした。まるでレゴブロックのように炭素や窒素、水素、酸素が撒き散らされた乱雑な部屋、宇宙とはそのような空間でした。ところが、ある部屋だけはものすごく緻密な造形に組み立てられている、それがまさに地球です。

地球は太陽から多くの恩恵を受けていますが、太陽は分け隔てなく、まさに天照大神の名の通り全宇宙にあまねくそのエネルギーを届けています。金星や火星にも同じように太陽光エネルギーを送っていますが、地球だけはそのエネルギーを光合成によって有機物や糖類、アミノ酸、タンパク質といった形に変換して、非常にクリエイティブにこの世界を作り上げていきました。

地球上では、人類より先に植物が現れます。おおよそ2億年前に花の原型ができあがり、1億年ほど前になると昆虫との共進化の歴史が始まります。この頃からすでに自然界における偉大な生態系が成立していました。例えば、花は蜜を集める蜂たちのヘリポートとして発達しました。植物は昆虫に花粉を運んでもらいたいが、繁殖のもとである花粉を食べられてしまったら元も子もありません。そこで代わりに、まるでスイーツショップのように、甘い蜜でお腹をいっぱいにしてもらう戦略を編み出したのです。人間が食べる作物も昆虫による受粉がなければ成り立たないので、植物と昆虫の共進化関係は人間にも不可欠の恩恵を与えているわけです。

森では、植物が他の樹種と混成して構成されています。一見、競合関係に見える植物同士でも実は互いに助け合う関係であり、その間を繋ぐのが菌類や微生物のネットワークです。つまり植物は、ここでも植物だけで自立的に生きているわけではない。昆虫との共進化以前に、こうした菌類との共進化があったということがわかってきました。土壌中の糸状菌が根の表面や内部に着生して植物と共生する菌根菌。こうした菌類は、もともと海の藻類が上陸する過程でも大きな役割を果たした、つまり「陸上植物の誕生」の段階から大きな媒介者として活躍したものです。その際にも、本来は競合する相手から互いに足りない栄養を補い合うことで上陸を果たしました。こうした共生関係がなければ上陸も果たせなかったかもしれません。植物や微生物もこうして共進化の関係を築いて今日まで進化してきたわけです。

今や人類は、地球の気候を変えるくらい大きな力を持ちました。人類は今後、倫理観から単に植物や生態系を「守る」だけではなく、自分たちが持つ技術で地球生態系のさらなる更新、人類と生命系の共進化にどう貢献するのかという視点を持つことが大切です。自然界はそういったモードで地球を常にアップグレードしてきました。いま月や火星を改造(テラフォーミング)する計画がさかんに言われていますが、ほかならぬこの地球こそが生命による絶えざるテラフォーミングの結果であり、「酸素に満ちた大気」も「緑の大陸」も生命と地球の共進化、地球のテラフォーミングがなければそもそも存在しなかったものです。その延長に人類がいる限り、人類の営みは地球の歴史を基準にして推し量るべきです。つまり、宇宙的な諸条件をコーディネートして、そこから新たな可能性を生み出していく営みこそが、人類の本質なのだと思います。

■第二章:日本的思想 

多様で異質な他者との関係性を創造的な「共進化」へとコーディネートしてゆく宇宙的営みは、日本語の身近な言葉にも内包されています。工芸や大工という日本語に使われている「工」の文字は、上の横棒は天を、下の横棒は地を表し、その間を人が繋いでいます。そして、「自分」という言葉は、より大きな全体のなかの一部、自然のなかの一部であることを圧縮したような言葉です。「人間」という言葉も、人はいろいろなものの間、ネットワークの結節(ノード)として存在するというニュアンスを含んでいます。人は人だけで孤立して生きているわけではない、植物や土壌微生物や腸内細菌など多様な他者との関係性のなかに成立している。日本語にあるこうした表現は、自然のなかに潜在する力を感じ取る日本人の霊妙な思想の現れといえます。

こうした思想は、日本文化のさまざまな営みにも見出すことができます。例えば、いけばなは一期一会による営みとして、野に咲いている状態ではあり得なかったような関係性において植物を昇華させる瞬間芸術であり、ある時空間の文脈でしかあり得ない形で花を造形することが真骨頂です。野に咲く花も美しいですが、花が生き生きした状態は数時間から数日しかありません。いけばなはそこに新たな命を与え、花に奉仕する行為です。さらにそれは植物を媒介として天と地を繋ぐ人の営みであり、宇宙をクリエイティブな形で編集するものなのです。阿弥衆によって始まったいけばなが、自然とのパートナーシップをクリエイティブに更新してきたことは間違いありません。

自然との関わりを創造的に更新してきたという意味では、これからの地球と人類文化を作っていく上で日本文化は重要なピースであることを確信しています。次の時代の地球的な物作りのデファクトスタンダードの雛形が日本にあるということです。日本の神話を新たな形で語り直した『風の谷のナウシカ』のような作品が世界的に広がっていることを考えると、日本的な感覚や文化が世界文化になっていく下地がすでにあることを感じています。植物がこの世界を浄化し、森の化身との危ういバランスを常に再構築してゆくような共生を通じて新しい世界を開いていく感覚を、海外の方は日本のアニメ文化のなかに感じているのではないでしょうか。むしろ日本が提唱している文化をどういうふうに普遍化して世界に届けていき、貢献していくか、日本人一人ひとりがもっと精進していくべきだと考えています。

■第三章:人類の精神史

ブッダが樹下で悟りを開いたように、人類の精神史を振り返っても、樹木を鏡として学び、「神のよりしろ」とした宇宙樹的な樹木観がありました。ブッダの生涯は森で始まり、樹下で悟りを得たのち、沙羅双樹の下で入滅しました。ギリシャ彫刻の影響で仏像が作られるようになった2000年前までは、まさに生きた樹木が仏像であり、ブッダは樹木そのものでした。また、ユダヤ聖典で「生命の樹」として祟られていたエッサイの株から生まれ、最期は木の十字架に架けられて生涯を終えたイエス・キリストもまた、ほとんど「木の化身」と言える存在でした。樹木は「神のよりしろ」だったわけです。仏教の樹下の悟りやイエス・キリストの十字架の受難といったことの根底にある思想は、森の化身との生命をかけた一体化(死と再生)を描いた『風の谷のナウシカ』のような現代的な作品に結晶していきました。

今は、アカデミックな領域での自然の理解の深まり、知的な進化とともに、多くの人が動植物との友好的、共感的な関係を深めていると感じます。植物が自分自身の鏡のようなものとして存在していると感じています。植物にとっても人間がそういう存在であればいいといつも思います。これまでは保護するにしても、支配するにしても、自然を対称として見てきました。自然保護と自然改変は対立するようにみえて、同じことの裏と表であり、自然は「三人称」で語られるものでした。植物や微生物によって自分が生かされているという共感関係、人間のパートナーとの間にあるような相互的な「二人称」の関係を人間界に閉じない形で広げてゆく、それがさらに進んでいった「一人称」の感覚、私は樹木でもあり地球でもあるといった感覚を現代の多くの人が持ちはじめているのかもしれません。

例えば、アニマルウェルフェアにしても、本質的な共感体験がどこかにあるのではないでしょうか。人間社会における共感、パートナーシップの深まりが人間の暴力性を抑制していった歴史が、いま人間界に閉じずに他の動植物との関係にまで拡張されつつあるように感じます。実際、18世紀までは欧州でも公開処刑が行われていて、民衆はそれを笑いながら見ていました。現代の感覚では当たり前な他者への共感や人命尊重が、つい200年ほど前までは当たり前ではありませんでした。それが18世紀後半からにわかに変わり始め、人権宣言や奴隷解放運動に繋がっていくわけですが、それはなぜだったのか?『暴力の人類史』を書いたMIT(マサチューセッツ工科大学)の認知科学者で心理学者のスティーブン・ピンカーは、文字のリテラシーが普及したことで誰もが手紙を書き、小説という新たな文芸を通して他者の経験を共有するようになったーーちょうど今のSNS革命のように、不特定多数の経験をシェアリングして共感する回路ができたためだと指摘しています。それまで笑いながら見ていた拷問や死刑、奴隷扱いに耐えられないと思う人が出てきたわけです。

文字の読み書きはそれまで聖職者、アカデミアンの一部の人間だけのものでした。聖書、医学書など一部の専門家だけが読める「大説」しかありませんでしたが、普通の人々の身近な日常や感情の変化を描いた「小説」が大衆レベルで急速に普及しました。小説はノベルといいますが、Novel=「新しい」を意味します。活版印刷技術が普及したこともありますが、『ロミオとジュリエット』のようなどうでもいい普通の男女のことが描かれる「小説」が普及したことで文字のリテラシーと他者への共感の感覚が広まっていったわけです。

小説や手紙の普及にともなって、誰もが最低限の基本的人権を持っていて、人命を尊重しなくてはいけないという、今では当たり前の思想が広がっていきました。それが植物や動物にも広がりつつあります。植物、動物にも人間と同様に権利がある等というつもりはありませんが、少なくとも三人称の対象として、いかようにも切り刻んだりコントロールしたり、あるいは現代のマスプロ畜産業における家畜の飼い方のように苦痛を超えたような状況で工業製品のように飼育し、屠殺された肉を平気で食べるということに耐え難いと感じる人がだんだん増えてきたのだと思います。

天と地を繋ぐ人の営みを記した『宇宙樹』の竹村眞一氏が語る、宇宙と生命のこれからの共進化関係【後編に続く】

■竹村眞一プロフィール

1959年生まれ。東京大学大学院文化人類学博士課程修了。現在、京都芸術大学教授。生命科学や地球学を踏まえた新たな「人間学」を構想するかたわら、独自の地球環境論、情報社会論を展開。ウェブ作品「センソリウム」やデジタル地球儀「触れる地球」、地域情報システム「どこでも博物館」など、自ら実験的なメディア・プロジェクトを数多く企画制作。主な著書に『地球の目線』(PHP新書)、『22世紀のグランドデザイン』(慶應義塾大学出版会:編著)、『地球を聴く』(日本経済新聞社)、『炭素の魔法』(PHP)など。

『宇宙樹』
著者:竹村眞一
発行:慶應義塾大学出版会
価格:2,640円
購入はこちらから
https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766410037/

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華道家 中村俊月 Shungetsu Nakamura
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