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コラム「古典に咲く花」 第6回「かたくりの花」

2024.02.27 / 月野木若菜
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「春の妖精」とも称されるかたくりの花は、早春の雑木林にうつむいて群れ咲く可憐な花。桃色や薄紫の花の姿は愛らしく、まさに丘いっぱいに妖精が舞い降りたようで、春の訪れを告げてくれます。

花の名は、古くは「堅香子(かたかご)」と記され、万葉集に大伴家持の屈指の名歌が、たった一首だけ残っています。「もののふの八十娘子(やそをとめ)らが汲みまがふ寺井(てらゐ)の上(うへ)の堅香子(かたかご)の花」です。「もののふ」は「八十(やそ)」の枕詞ですが、「たくさんの」という意味になりますので、この歌の登場人物は大勢の若いむすめたち。

「寺井」は湧き水の有る、泉や井戸などのことです。現代語に置き換えてみますと、「大勢の若いむすめたちが、手桶を持って、わいわいと集まっては水を汲み、出たり入ったりしている。その賑やかな泉の傍らに、かたくりの花が群れ咲いているのは、なんとも可憐で美しいことだ」という感じで、家持の目に映るうららかな野の春が描かれています。

長い冬を乗り越え待望の春を迎えた喜びは、少女たちの弾むような笑い声や水しぶきの音とよく響き合います。そのいきいきとした情景を縁取るように、かたくりの花が咲いているのですから、そこにはどれほどの生命力と幸福感が満ち溢れていることでしょう。

この和歌が詠まれたのは、天平勝宝2年(西暦750年)3月2日。家持が33歳の時と言われています。今から1274年も前の風景ですが、現代の私たちにも、その瑞々しさや明るさは同じように伝わって来ます。

家持は奈良の都を離れ国守として遠い越中に赴任していましたので、この少女たちを眺めつつ、都の宮女たちを思い描いていたのかもしれません。静かに佇む堅香子の花を詠んだ背景に、家持の深い心情が見え隠れします。

この赴任地富山県高岡市は、かたくりの花を「市の花」として今に継いでいます。高岡市に限らず、北海道から本州まで、各地に「かたくりの花の群生地」がありますので、見頃となる時期を見計らって訪ねてみては如何でしょう。「春の妖精」の花畑から、万葉時代の乙女たちの楽しそうな声が聞こえてくるかもしれません。

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華道家 中村俊月 Shungetsu Nakamura
Shungetsu Nakamura
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